花田ミキ(1914〜2006)
青森県弘前市生まれ。青森弘前高等女学校(後の青森県立弘前中央高等学校)卒業後、盛岡赤十字看護婦養成所を経て、日赤県支部の看護婦となり日中戦争と太平洋戦争に三度召集され、20代のほとんどを戦場で過ごす。
終戦後は青森県で、看護教育の基礎を築き上げるため青森県立高等看護学院(いまの青森県立保健大学)の立ち上げ、保健行政の立場から無保健婦町村の解消、僻地救護看護の確立に努めた。
保健文化賞、東奥賞受賞。
伝説の看護の人、花田ミキの
看護に命をかけた波乱万丈の生きざま
シングルマザーとして息子リクの子育てに追われる日々をおくっていたちさと(王林)は、仕事場のスーパーの常連である花田ミキ(木野花)と出逢う。人嫌いとして近所でも有名であった花田だが、ちさとやリクとの何気ない日々を過ごす中で、人のぬくもりに触れ、自然と心を通わせていく。
花田は自分がかつて看護師であったことをちさとに告白し、当時の社会情勢や自分が今日までどのような生き方をしてきたのかについて語り始める。
花田の若い頃(伊勢佳世)の姿は、八戸赤十字病院で集団感染が起きたポリオの治療法を広め、看護に対して誰よりも直向きに向き合い、生き抜いた姿だった。ちさとは、幼い頃に亡くなった自分の母親も看護師であったことから、花田により親近感を抱くようになっていったのだが……。
映画化への想い
新型コロナウィルス感染症が、世界に拡大、日本でも緊急事態宣言が発令される事態になりました。そんな今、新たな感染症と必死に戦う医療従事者たちの姿を通じて、看護や保健の大切さが見直されてます。
看護師は正しい感染対策技術を習得し患者と安全の不安の軽減に努め、保健師は地域における健康危機発生時の公衆衛生看護活動にその専門性を発揮することが重要になってきています。
その子は、
一人の保健師に命を助けられた。
その保健婦は花田ミキと名乗った。
死にかけたその子が私だった。
映画監督 五十嵐匠
私は2才の頃、一人の保健師に命を助けられた。
昭和35年6月7日の青森県紙東奥日報にある記事が載った。見出しは「愛のリレーに命拾い」。
記事は続く。「汽車の中で急病のため人事不省となった坊やが、たまたまこの汽車に乗り合わせていた保健婦に命を助けられた。5月25日午後5時50分。奥羽線の列車内で一人の母親が赤子を抱き、「医者がいませんか」と狂ったように叫んでいた。抱かれたその子はハシカで高熱を出し、すでに呼吸は止まっていた。その子は乗り合わせていた保健婦の手当てと適切な処理で、浪岡駅~自衛隊ジープ〜浪岡病院~青森とリレーされ危ない命を助けられた」。
その保健婦は花田ミキと名乗った。死にかけたその子が私だった。
映画「じょっぱり一看護の人花田ミキ」は、自分の身を顧みず「保健と看護という職業」に命を捧げた津軽女性のたくましさと、やさしさ、そして命の尊さをドラマチックに綴る感動作である。私はコロナ禍で命を顧みず必死に戦っている医療従事者の皆さんにエールを送ろうと思い、命の恩人花田ミキさんの映画を企画・制作することを決意する。
監督
五十嵐 匠
日本映画監督協会所属。1958年⻘森市生。弘前高等学校、立教大学文学部卒。岩波映画・四宮鉄男監督に師事。TBS「兼高かおる世界の旅」制作のため、アラスカをはじめ、世界各国を回る。
以後フリー。
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たくさんの方にご覧いただきたい ー
そう願い、団体、学校、自治来、企業、サークルなどの皆さまの自主上映をお受けしています。
劇場上映終了後、映画館で上映されなかった地域、或いは映画館のない地域の全国の皆さまに届けできれば幸いです。
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私の母も看護師で夜勤の日は弟と妹と一緒の布団で寝てたり「ちさと」と同じ境遇の場面が何度かありました。自分のことをあとまわしにしてまで仕事に行く母にあこがれて、私自身も看護師をめざしています。今回の映画を見て、自分も「ミキさん」や母のように人につくせる看護師になろうと、心が燃えています!!ステキな映画をありがとうございました。(10代)
私は将来医療の仕事に携わりたいと思っていて、この映画を見ることができて本当によかったなと思います。これからこの映画をいろんな人に見てもらえたらいいなと思います。花田ミキさんの生涯を映画を通して知ることができて良かったと同時に、花田ミキさんこそが看護、保健師として目指すことのできる像だなと思いました。(10代)
青森県で昔、多くの命をうばった病というのは学校で聞いた事がなくこの映画で初めて聞き、驚きました。花田ミキさんという誰よりも人の為、青森のために尽くし導いてくださった女性を忘れてはいけない。勇気と感動をもらいました。(20代)
本当に花田ミキさんという人をこの映画で初めて知りました。今でもまだまだ医療が行き届いていない人・子供を産んでも育てられいない人もたくさんいます。この映画を見てそういう人たちに届くと良いです。声をあげられない人にも届くといいです。(50代)
終戦直後のまずしい青森の情景が、見事に表現されていて泣かずにはいられませんでした。母が嫁いで来た時のことを聞いたことがあり、亡くなった母を思い出し自然と涙がこぼれました。花田ミキさんの生き方、今の時代だからこそぜひ日本人として見て欲しい映画だと思いました。(60代)
監督・脚本
五十嵐 匠
製作
ストームピクチャーズ
制作プロダクション
トロッコフィルム
制作協力
かまくらさちこ
配給・宣伝
ポルトレ
時間
90分
後援
日本赤十字社
日本看護協会